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姉川の合戦で、朝倉義景は
浅井長政と組んで戦い
織田信長の軍に敗れました。

朝倉義景ってどんな人なんだろう?
どんな武将だったのかしら?
図書館に行って本を何冊か借り、調べてみました。
和歌や、茶道、文学に親しみ、
武人というより文人?
5代続いた朝倉家、最後の武将です。

朝倉家は応仁の乱での活躍をきっかけに、越前を治め、103年間栄華を誇りました。
朝倉義景は、時の将軍、足利義昭に頼られ、明智光秀とも交流があったにもかかわらず、なぜか天下を取ることに積極的でなく、チャンスを逃してしまったことが多かったそうです。

天正元年(1573年)、姉川の戦いで敗れたあと、越前大野で自ら命を落としています。

本を読んでいるうちに、これは越前に行かなくては、呼ばれているかなと勝手に思った私は、主人を誘い、
越前一乗谷朝倉氏遺跡に向かいました。

一乗谷


一乗谷川


朝倉義景館跡


復元町並み


山あいの静かな場所に遺跡はあります。
戦いの後、織田信長軍が一乗谷を訪れ、三日三晩焼き払い、この城下町は、姿を消してしまいました。

ガイドさんに案内してもらったので、
たくさん説明してもらいました。
440年前、この町には、一万人もの人々が暮らしていたそうです。
京都のように計画的な町割りがなされ、
庶民の家でさえ、井戸や厠があったそうです。
一乗谷川の下流には、大きな市場があり、上流には、武家屋敷や庶民の家、ガラス工房や、染物工房などもありました。
北陸の小京都ともよばれ、その当時、全国で三番目の都市とも考えられているそうです。

庭園跡


京都より沢山の人々が訪れ、庭を眺めながら、和歌を読んだり、宴をしたりしたそうです。
こうした庭園は、京都の天龍寺などと同じ石の置き方だそうです。

シルクロードなどを描いた平山郁夫さんは、一時間近く、ここの庭園を眺めていたそうです。
岡本太郎さんも、庭園を眺めながら、
歴史は、パラダイスだと言ったとか。

自然の中にこうした遺跡があるので、
想像力がより広がるのでしょうか?
焼き払われたあとこの城下町は、忘れられた町となり、江戸時代には、畑になっていたそうです。
近代になってから、遺跡が発掘され、
125年計画で、発掘調査が始まりました。まだ52年目なので、これからも発掘は続いていきます。
400年以上も経って、こうした形で一乗谷は、蘇りました。

織田信長は天下を取ることを目指し、
朝倉義景はこの城下町を守ることに力を注ぎ、
その違いが、勝敗を分けたのかもしれません。
ただ、この場所が好きだった…
この城下町を大切にしていた朝倉義景の気持ちが、時を越えて伝わって来たような気がしました









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